第二次世界大戦末期の1945年8月9日午前11時02分に長崎原爆はアメリカ軍により投下されました。人類史上実戦で投下された最後の原爆と言われています。
その長崎原爆投下の写真に写る「きのこ雲の後方に見える煙」に注目が集まっています。この煙の正体は、原爆投下の約1時間前に起こった「串木野空襲」によるものです。串木野とは、旧串木野町(現いちき串木野市)のことを指し、鹿児島県西部に位置する田舎町です。
なぜそんな田舎町(串木野)が、長崎原爆投下1時間前に、空襲されたのでしょう?
串木野はなぜ空襲されたのか?
長崎原爆が投下されたのは、終戦間近の8月9日。結果として、この6日後に日本は降伏し、終戦を迎えることとなるわけですが、当時は日本が降伏するかどうかは定かではありません。ですので、連合軍は、長崎原爆以降も日本が降伏したかった場合、11月に九州南部から上陸する作戦を計画していました。そのためには、鹿児島県西部の沿岸部制圧が必要だったため、作戦前に串木野を空襲したものと思われます。
また、串木野だけでなく、日本全土においても長崎原爆以降の終戦直後まで空襲があったことが知られています。
長崎原爆で発生の「きのこ雲後方にある煙」の正体とは?
今回、長崎総合科学大の大矢正人名誉教授らにより特定された、長崎原爆のきのこ雲写真の後方に写り込む串木野空襲の煙が話題を読んでいます。
「きのこ雲」後方 串木野空襲の煙 長総大・大矢名誉教授ら特定 「終戦直前まで全土に空襲」 「終戦直前まで全土に空襲」 #長崎新聞https://t.co/DRZ1JtCQ6Q
— 共同通信「U30のコンパス」 (@u30_compass) August 9, 2019
もともとは、桜島(鹿児島)の噴煙によるものとされていましたが、当時の記録に桜島が噴火した記録はなく、この度、大矢教授と長崎総合科学大の学生チームにより、この煙が串木野空襲の際のものだと特定されました。
最後に
今回、大矢教授は、「全国各地の空襲体験と原爆被害を関連づけて、平和の大切さを伝えていく視点が今後は重要になる」と語っていますが、平和とはなんなのか?改めて、考えさせられました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。